人は意識、無意識で自分が正しいと信じて生きています。ですから時々感じる寂しさとか愛の孤独感についても、その原因は自分には無い、社会のせい、人のせいにして生きています。また、そうしないと益々変になつていきますので、ある意味、今の解釈をよしとしないと生きていけません。しかし、どうしても切なくて哀しい時、心から自分を大事にしてくれる相談者がいればいいのですが、そんな人はあまり居ません。相談に行けばいくほど、益々、嫌な事態になるようです。癒してくれる人を持つ人は本当に幸せな人と言えるでしょう。そういう相手が居ない場合の解決方法はセルフカウンセリングの手法を覚える事しかありません。寂しさ、愛の孤独感はその人の生育史から捻出されてくる理想(こうありたい、こうあらねばならなし、というイメージ)と現実の解釈から生まれます...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答
味覚を病気で喪失した知人は悲劇です。食べないと生きていけないので味が無くても毎食、必死で食べています。さて味覚を意識しなしと人生の醍醐味、生き甲斐が半減します。味わう事を意識化した人は幸福感が倍加するそうです。味覚を意識化すると平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感が確実に増加しますので、食事の折に、どんな味を今、感じているか意識と言葉にしてみて下さい。涙が出るくらい幸せになります。甘い、酸っぱい、辛い、美味しい、と意識化するのです。某大学病院での事例ですが、腐敗したものを意識して食べさせて鬼のような母親が心を病んで入院してきました。この事例は子供は心の病気にはなりませんでしたが、その母親が何故か、心を病んでしまったのです。この昔の体験は味覚の神秘をしみじみと私に沢山の事を教えてくれ、味覚研究の多方面...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答
富士山への信仰は江戸時代に再燃しますが明治初期には「宮下文書」のように国家神道からも政府からも偽書として葬られていきます。古代富士王朝が存在したかどうかは、その筋の専門家におまかせするとしても、私達祖先が富士山や筑波山、大山、白山、磐梯山等への山岳宗教に平安感を感じ取り生きた歴史は消せません。邪教と言われた古代の宗教もある種の人々に幸福感を与えた事は事実です。「自己肯定・他者肯定」の思想がフランス革命の後、法律化されてきますが国連憲章でうたいあげる人類の基本的人権の思想を得るまでには長い歳月が必要でした。富士山信仰が時の政府を不安定にさせ、都合が悪かったからです。それほどに富士山信仰は日本人の背骨のような存在でした。富士山信仰を消滅させていく歴史の中でも一番面白いにが古事記、日本書紀の研究でしょう。何故、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答
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